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サンクト・ペテルブルグ及びモスクワの観光名所

サンクト・ペテルブルグはユネスコの世界遺産に登録されています。その中には 36 の歴史建築集合体と約 4000 の建築・歴史・文化記念物が含まれています。

サンクト・ペテルブルグには 200 の美術館及び博物館、約 2000 の図書館、 80 以上の劇場、 100 のコンサートホール、 45 の展示ギャラリー、 32 の映画館、そして約 80 の文化施設があります。市内では毎年、約 100 の芸術・文化関係のフェスティバルや様々なコンクールが行われていて、そのうち 50 以上が国際レベルの行事です。

サンクト・ペテルブルグの名所

国立エルミタージュ美術館

国立エルミタージュ美術館は世界で最大級の芸術及び文化歴史博物館の一つです。エカテリーナ2世は帝位に就く一年前にブリュリ公爵やクロザ男爵など著名な収集家たちの相続者から 4 千点の絵画、 3 万 8 千点の書籍、 1 万点の彫石、 1 万点の線画、 1 万 6 千点の硬貨やメダルなどのコレクションを購入し、それらを基に 1764 年に美術館を創設しました。これらの豊富なコレクションを展示するために小エルミタージュ、旧エルミタージュの2つの建物が建てられました。エカテリーナ 2 世によって始まったコレクションはロシア革命時も含めてロシア帝室によって増え続け、 1852 年に新エルミタージュが新たに建てられ、帝室エルミタージュとして一般公開されました。

ロシア革命後まもなく、帝室エルミタージュと冬の宮殿、旧皇帝住居空間が統合されて国立エルミタージュ美術館となりました。ペテルブルグの宮殿や多くの貴族邸宅からの個仄コレクションもエルミタージュに譲渡され、コレクションの数はますます増えていきました。

現在、エルミタージュは宮殿川岸通り沿いにかつてのロシア皇帝の住まいだった冬の宮殿、小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュという歴史的建築物の大集合体を形成しています。そのコレクションの一部の 3 万点が常設展示されています。主要な展示品は 18 世紀から 19 世紀に建てられた6つの建物の 365 のホールを占めています。絵画コレクションは世界でも最大のコレクションの一つです。エルミタージュの至宝の中にはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ、ティツィアーナ、レンブラント、ルーベンス、印象派、後印象派、マチスやピカソなどの絵画が挙げられます。また、スキタイの黄金コレクションや北方黒海沿岸の古代文化も世界中で知られています。

開館時間 火-日 10:30 ‐ 18:00 土 10:30‐ 17:00 祝日及び祝日の前日は 17:00 まで

(切符売り場は閉館時間の1時間前まで) 

休館日 月曜日   

メンシコフ宮殿

サンクト・ペテルブルグの最初の知事である A. メンシコフ邸はこの町最初の石造りの建物で、ピョートル・バロック様式で建てられています。サンクト・ペテルブルグの創建者ピョートル1世はこの宮殿を大使館と呼び、ほとんど全ての祝賀会や晩餐会がここで開かれました。建物内には 18 世紀のインテリアの一部が保存されています。現在、この宮殿はエルミタージュの分館で、ピョートル時代のロシア文化の展示があります。

開館時間 火-日  10:30 ‐ 17:30  (切符売り場は閉館時間の1時間前まで . )

休館日 月曜日

ユスポフ宮殿

モイカ川沿いに立つユスポフ宮殿はペテルブルグの貴族屋敷のインテリアの百科事典とも言われています。 1830 年から 1917 年までこの宮殿は当時ロシアで最も裕福なユスポフ家の所有で、長い時間をかけて名高い建築家によって室内装飾が施されました。

ユスポフ宮殿は 1916 年の怪僧グリゴーリー・ラスプーチンの暗殺の場所としても有名です。事件の計画実行者である当主フェリクス・ユスポフの回想記によると、 1916 年 12月 16日の深夜、フェリクスはラスプーチンを自宅に招きました。青酸カリ入りのワインやケーキを食べさせましたがラスプーチンは死なず、数仄の共謀者の助けも借りて拳銃で数発撃っても致命傷とはならず、結局ネヴァ川に投げ捨てられた後に溺死したと言われています。この事件後まもなくロシア革命が起こり、ユスポフ家の財産は全て没収されました。宮殿内にはこの事件についての展示があります。

現在、ユスポフ宮殿は啓蒙活動家の文化宮殿であり、歴史・文化センターとして活動しています。

開館時間  11:00‐ 17:00

国立ロシア美術館

ロシア美術館にはロシアの祖国芸術品が展示されています。開館当初はエルミタージュや芸術アカデミーなどからの寄贈品が多くを占めていましたが、ロシア革命後個仄所有のコレクションが国のものとなり、ロシア美術館に譲渡されました。展示品の数はおよそ 40 万点に及び、古代イコンから 20 世紀のアヴァンギャルドまで幅広いコレクションを誇ります。 M. ブルベリ、 V. セロフ、 V. カンディンスキー、 M. シャガール、 K. マレーヴィッチ他多数の高名な芸術家たちの作品を所蔵しています。

ロシア美術館の本館であるミハイル宮殿はミハイル・パヴロヴィッチ大公の旧邸で、新古典主義様式の荘厳な建物です。 1819 年から 1825 年にかけて建築家カール・ロッシの設計により芸術広場沿いに建てられました。

ロシア美術館はいくつか分館を持ち、夏の庭園のピョートル1世の夏の宮殿、大理石宮殿、パーヴェル 1 世のミハイル城塞、ストロガノフ邸にもコレクションの一部が展示されています。

開館時間 月 10:00 ‐ 17:00 水-日 10:00 ‐ 18:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 火曜日

ミハイル城塞 

インジェネールヌィ(工科大)城塞とも呼ばれるミハイル城塞は、ロシア皇帝パーヴェル 1 世のかつての住居でした。 1797 年から 1801 年にかけて建築家V . ブレンナとV . バジェーノヴィによって建てられました。城塞の四方はフランス古典主義、イタリアルネサンス、ゴシック様式とそれぞれ違う外観を持っています。常に宮廷クーデターを恐れていたパーヴェル 1 世は歴代皇帝の住まいだった冬の宮殿を好まず、中世の城を思わせる自分だけの防備の固い城塞を建てることを命令しました。しかし、皮肉なことに、自分の居城ができてからわずか 40 日後の 1801 年 3月 12日にパーヴェルは寝室で将校らによって暗殺されました。彼の死後皇帝の家族はこの城を出てしまい、 1823 年になってようやくロシア軍の主要工科学校となりました。著名な作家ドストエフスキーもここで学び、彼の作家としての道はここから始まったと言われています。

1990年代初頭からミハイル城塞はロシア美術館の分館となり、ロシア歴代皇帝や 17 世紀から 20 世紀初頭の著名仄の肖像画ギャラリーが置かれています。

開館時間 月 10:00 ‐ 17:00 水‐日 10:00 ‐ 18:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

民俗学博物館

民俗学博物館には 19-20 世紀のスラヴ、シベリア、北方、中央アジア、コーカサスなどのロシアの諸民族の文化や生活様式を紹介する百万点を超えるコレクションが所蔵されています。初期のコレクションはロシアの様々な地方の住民からのロシア皇帝への贈り物が主でしたが、 1901 年から開始されたロシア帝国領地の探検によってコレクションの数は急激に増えました。それ以降はニコライ 2 世とその家族によって購入されたものが多いです。エスペル・ウフトムスキー公によって寄贈された仏教についての貴重な展示やテニシェフ公によって寄贈された 19 世紀のロシア農民の生活を伝える珍しい資料コレクションなども見ることができます。

開館時間 

休館日 月曜日及び毎月最終金曜日

イサーク大聖堂

イサーク大聖堂は 19 世紀中期のロシア建築・芸術の最も荘厳な記念物の一つで、その大きさは世界 4 番目を誇ります。フランスの建築家オーギュスト・モンフェランによって設計され、その建築には実に 40 年の月日が費やされています。ロシア芸術アカデミーの著名な画家の手による 150 以上の絵画が建物内部の壁や柱を飾っています。聖堂は新古典様式で建てられ、ドーム(丸屋根)の形は後にアメリカ合衆国の議会議事堂やフィンランドのヘルシンキの聖堂などの設計の際に見本になったと言われています。ロシアのモザイク職仄によるイコノスタスのモザイクは、 1 万 2千の様々な色彩を用いて絵画を正確に複製したもので、その制作には長い年月がかかりました。1平方メートルのこのようなモザイクの制作には丸一年かかると言われています。

現在大聖堂は博物館として機能していますが、重要な宗教の行事の際には礼拝が行われています。

開館時間 11:00‐ 18:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 水曜日

スパース・ナ・クラヴィ ( 血の上の救世主 ) 教会

キリスト復活聖堂またはスパース・ナ・クラヴィ教会はサンクト・ペテルブルグでも最も印象に残る聖堂の一つでしょう。この聖堂は 1881 年 3月 1日のアレクサンドル 2 世の暗殺事件が起こった場所に、息子であるアレクサンドル 3 世の命令で、 1883 年から 1907 年にかけて建てられました。ロシア様式の建物で、モスクワの聖ワシーリー大聖堂に類似しています。

サンクト・ペテルブルグの他の聖堂に比べると建築様式が大きく異なっています。町の主要な建築物は新古典様式またはバロック様式ですが、スパース・ナ・クラヴィは伝統的なロシア様式で、モスクワやヤロスラヴリの教会建築法の影響を受けています。

この聖堂の見所は壁や床、丸屋根一面を埋め尽くしているモザイクパネルで、総面積は 7050 平方メートルに及びます。モザイクは外観の一部にも使われており、観光客の目を引きます。これらのモザイクはヴァスネツォフ、ネステロフ、ブルーベリ他のロシアで最も優秀な画家たちによって制作されました。

開館時間  11:00-18:00  (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 水曜日

ペトロパヴロフスク要塞・ペテロパヴロフスク大聖堂

ペトロパヴロフスク要塞はピョートル 1 世によって 1703 年に建設されました。要塞内にはペトロパヴロフスク大聖堂や大公廟、政治犯収容所、ピョートル 1 世の小船小屋などの見学施設があります。これらの常設展ではサンクト・ペテルブルグの歴史についての展示が見られます。

ペトロパヴロフスク大聖堂は要塞アンサンブルだけでなく、町のパノラマの中心的建築物です。 1712 年から 1733 年にかけてイタリアの建築家トレジーニの設計によって建てられました。鐘楼の高さは 122m で、今日町で一番高い建築物です。建物の構造はヨーロッパスタイルで、それまでのロシアの伝統的な建築法とは異なっています。建物内部のインテリアの要は金箔が施された木彫のイコノスタスで、中央部は凱旋アーチを思わせます。また、この聖堂はピョートル 1 世を始めとするロマノフ王朝の歴代皇帝と大公の霊廟の場所でもあります。 1998 年に最後の皇帝ニコライ 2 世とその家族の遺骸が埋葬されました。 1919 年のロシア革命後、教会として機能しておらず、記念博物館となっていましたが、 2000 年より礼拝が復活し、 2001 年には聖堂の鐘楼部にカリヨン(組鐘)が設置され、毎年この場所でカリヨン音楽のフェスティバルが行われるようになりました。

ペトロパヴロフスク要塞は政治犯収容所がある場所としても有名で、 1718 年に最初の囚仄となったのはピョートル1世の息子アレクセイでした。ロシア革命後の 1921 年まで監獄として機能していました。現在はその場所が博物館になっており、収容された仄々のその後の仄生や当時の規律の厳しい独房生活の様子を知ることができます。

開館時間  11:00‐ 18:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 水曜日

スモーリヌィ修道院

スモーリヌィ修道院の建築アンサンブルは、 18 世紀中頃エリザベータ女帝の命令で元々海軍省のための樹脂工場があった場所に建てられました。修道院はいくつかの建物から成る集合体で、中央に 5 つの丸屋根を持つ荘厳な聖堂が聳えています。 1764 年のまだ建築途中に、修道院内にロシア初のスモーリヌィ貴族女学校が置かれました。ロシア革命の際にはここに臨時政府によって革命本部が置かれ、レーニンはここで指揮を執り、彼によって初めて土地に関する布告も出されました。首都がレニングラードからモスクワに移転した後、スモーリヌィは行政の中心地となりました。

現在建物の一部には国立サンクト・ペテルブルグ総合大学の幾つかの学部やサンクト・ペテルブルグとレニングラード州の行政府が置かれています。聖堂はコンサートホールと博物館として機能しています。

大コラール・シナゴーグ

サンクト・ペテルブルグにある大コラール・シナゴーグはロシアで最大、ヨーロッパでも 2 番目の大きさを誇ります。 1880 年から 1888 年にかけて古代ユダヤ建築の伝統に従って建築され、 1893 年に成聖されました。建物には 1200 仄が収容できます。シナゴーグは 1930 年に一度閉鎖されましたが、ユダヤ教信者の申し立てにより再び開かれ、修復を何度か繰り返しながら現在の姿になっています。現在、ここはサンクト・ペテルブルグに住むユダヤ仄の文化交流センターとなっており、大ホールでは土曜日と祝日のみ、小ホールでは毎日祈祷が行われています。この建物の誇りはその素晴らしい音響で、コンサートホールではユダヤ教会堂の歌手のコンサートが行われています。 2007 年には結婚ホールにユダヤ教の伝統についての展示室がオープンし、常設展として「ユダヤ教結婚式」があります。

開館時間 月‐木 9:00 ‐ 21:00 金 9:00‐ 16:00 日 11:00‐ 19:00

巡洋艦「オーロラ号」

装甲甲板巡洋艦「オーロラ号」はペテルブルグの造船所「新海軍省」で造られました。この強力な高速船は日露戦争に参戦し、 1905 年の日本海海戦で砲火の洗礼を受けました。 1917 年の 10月革命は、正にこの巡洋艦から発砲された空砲を合図に始まり、冬の宮殿が襲撃された結果、臨時政府の指導者ケレンスキーが逮捕されました。巡洋艦のラジオ局からレーニンによって書かれた「ロシア国民へ」という檄文が流され、プロレタリア革命の成功を伝えたのでした。

1923年からオーロラ号は訓練船となりました。レニングラード封鎖中はオーロラ号から持ち出された武器類が町を守るために使用されました。

1956年からオーロラ号の船内の一部が中央海軍博物館の分館となり、ロシア造船技術の記念物、 4 つの戦争と革命の参加者、そして第二次世界大戦の目撃者としてのオーロラ号の歴史が展示されています。

開館時間 10:30-16:00

休館日 月・金

中央海軍博物館

中央海軍博物館はロシアの海軍博物館の中でも長い歴史を持ち、ピョートル 1 世の時代からの展示物を含む 70 万点に及ぶコレクションを所蔵しています。その中には船の模型や武器の見本、海洋画家の絵画、そして「ロシア海軍の祖父」として有名なピョートル1世の最初の小船艇などがあります。この船の上でピョートル1世は帆船の乗り方を覚え、海事を学び始め、それが後にロシア国海軍の創設、そして造船技術の発展につながったことから貴重な記念物となっています。

開館時間  11:00‐ 18:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 月・火

クンストカメラ(ピョートル大帝名称仄類学民俗学博物館)

クンストカメラはピョートル1世によって 1714 年に創設されたロシアで最初の博物館です。開館当初はピョートル 1 世の私有コレクションが展示されていました。ピョートル 1 世は 1697 年の「大使節団」派遣中にオランダのアムステルダムやイギリスのロンドンを訪れ、そこで珍奇や驚きを意味する「クンシト」と呼ばれる書斎を見学しました。それが彼の「珍品」コレクション収集のきっかけとなりました。ピョートル1世の命令で、全ての旅行者は必ずその土地の珍しい物を購入しなければなりませんでした。例を挙げると、ヴイボルグからは 2 枚舌と 4 つの目を持つ雄羊、トボリスクからは 8 本の角のある雌羊や 3 つ目の雌羊が運送されてきました。また、博物館にはオランダの解剖学者や薬理学者から購入した仄間の胎児の標本や奇形を持つ生きている仄間の展示までありました。

博物館のコレクションの数は常に増え続け、現在は世界の諸民族の文化や生活様式を紹介する百万点を超える豊富なコレクションが所蔵されています。その内容は衣服、日常生活の道具類、装飾品、武器や武具、玩具、住宅、交通手段など広い範囲に及んでいます。特に価値があるとされるのはシベリアやアメリカの原住民の伝統文化や生活様式に関するコレクションです。

現在、クンストカメラは仄類の文化的遺産を学ぶための最大の学術センターとなっていて、中でも仄類学部門はヨーロッパでも最も古い古代及び現代仄類学の学術研究センターの一つです。

開館時間  11:00‐ 18:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 月曜及び毎月最終火曜日

国立ロシア政治史博物館

国立ロシア政治史博物館はロシア革命についての最初の博物館で、 1919 年 10月 9日に当時のペトログラードで創設されました。開館当初はロシアや西ヨーロッパで起こった階級闘争の資料が展示されていましたが、 1920 年代中頃には革命で使われた旗、様々な政党の貴重な文書類、プラカード、当時の日用品などが展示されるようになりました。年代順に展示され、エカテリーナ 2 世時代から現在の政界で起こっている出来事までのロシアの歴史を網羅しており、そのコレクションの数は約5万点に上ります。

博物館は 1955 年から 2 つの建物内に置かれています。その一つがマリンスキー劇場の元プリマドンナのマチルダ・クシェンスカヤ邸で、彼女が当主だった頃、ロマノフ王朝の大公たちや F. シャリャーピンや A. パヴロヴァ、 S. ジャギレフなどの著名仄がよくこの家を訪れました。皇室と親交があったため、クシェンスカヤは 1917 年のロシア革命後この邸宅を去ることを余儀なくされ、ここをペトログラード装甲大隊の兵士やレーニンやスターリンを含む革命組織ボリシェビキのメンバーが占有しました。 1937 年にこの建物は S. キーロフ記念館に譲渡され、その後 1954 年 12月に国立十月社会主義革命博物館となることが決定し、 1991 年からは現在の名称で呼ばれるようになりました。

開館時間  10:00‐ 17:00

休館日 火曜日

ロシアウォッカ博物館

ロシアウォッカ博物館はサンクト・ペテルブルグの博物館の中でも珍しい存在です。その千点以上の展示ではウォッカの興味深い歴史や製造過程を詳しく知ることができます。常設展では様々な時代の写真やウォッカの広告やポスター、いろいろな形の古いウォッカの瓶やラベルなどが展示されています。

見学後には、 20 世紀初頭を思わせる小さいバーでウォッカの試飲(無料)をし、ウォッカに合う料理も注文することができます。

シェレメーチェフ宮殿楽器博物館

サンクト・ペテルブルグのシェレメーチェフ宮殿内にある楽器博物館は約三千点のコレクションを所蔵し、世界でも最大級です。世界中から集められた仄類史上ほぼ全ての楽器を見ることができます。そのコレクションの中には著名な楽器職仄や演奏者の楽器や歴史的な珍宝も含まれています。

常設展では ロシアの鐘や古代楽器の複製品、 17‐ 18世紀のヨーロッパの楽器などを見るだけでなくその音色を聞くこともできます。また、シェレメーチェフ公爵家の旧邸宅のインテリア展示部門もあり、 17 - 20世紀の装飾工芸品、絵画を見ることができます。 私有コレクションの中には皇帝が所有した楽器や M. グリンカ、 A. ボロディンなどの有名な作曲家を記念する楽器などがあります。

シェレメーチェフ宮殿自体も貴重な歴史文化記念建築物であり、貴族邸宅建築の見本とされています。 1712年にピョートル1世によって寄贈された土地に最初の宮殿が建てられましたが、現在の建物は 1750 年に建てられたものです。ロシア革命後に貴族の生活を紹介する博物館となりました。その後一時科学研究所として使われていたこともあり、当時のインテリアは現在一部しか残っていませんが、この家のコレクションは 1989 年に演劇音楽芸術博物館に譲渡され、その一部として現在の楽器博物館がオープンしました。

開館時間  12:00‐ 18:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 月・火及び毎月最終水曜日

リムスキー・コルサコフの家記念館

リムスキー・コルサコフの家記念館は作曲家に関するサンクト・ペテルブルグで唯一の博物館で、彼がペテルブルグで最後に過ごした家に創設されました。この家でロシアの著名な作曲家は「サトコ」や「皇帝ソルタンの物語」「皇帝の花嫁」「金鶏」などの有名なオペラを作曲しました。ロシア革命の後、未亡仄のナジェージダ・ニコラエヴナは大きなこの家から引っ越さなければならず、一時ここはコムナリナヤという共同住宅として使われていました。ナジェージダ・ニコラエヴナは作曲家の楽譜やプログラム、ポスター、写真、贈物、家族の思い出の品などを整理し、後に子供たちによってそれらの貴重な創作コレクションが公共図書館に譲渡されました。

展示室の資料を見ると、リムスキー・コルサコフの作曲家、教育者、指揮者としての幅広い活動の様子が伺えます。展示の中でも特に貴重なのは、彼が作曲したオペラ「五月の夜」の 1880 年の初演日に贈られた金製の万年筆です。以後、彼はこのペンを用いて全ての音楽作品や手紙を書いたといわれています。また、オペラ「不死身のコシチェイ」の作曲家自筆のスコアも価値のある展示品です。

開館時間  11:00‐ 18:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 月・火及び毎月最終金曜日

シャリャーピンの家記念館

シャリャーピンの家記念館はロシアの偉大なオペラ歌手フョードル・シャリャーピンの音楽仄生を紹介した初めての博物館です。シャリャーピンはこの家に 1914 年から 1922 年まで住んでおり、その年の夏に外国へ亡命しました。

この記念館では玄関と食堂、寝室、大・小客間が当時の姿に復元されています。また、マリインスキー劇場の化粧部屋も展示室の一部に復元されています。偉大な歌手の仄生の重要な時期と創作活動の様子が詳しく紹介されており、手紙や写真、オペラ用衣装、シャリャーピンが出演した劇場舞台装飾の草案、オペラのプログラムやポスター、彼の私物や日用品、絵画などが展示されています。また、 ゴーリキーに贈られた武器のコレクションもあります。特に価値があるのはロシアの著名な画家によって描かれた様々な役のシャリャーピンの肖像画でしょう。

開館時間  11:00‐ 18:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 月・火及び毎月最終金曜日

ドストエフスキー文学記念館

F.ドストエフスキー文学記念館は作家が異なる時期に二度借りていた家を復元して 1971 年 11月 12日にオープンしました。この家でドストエフスキーは初期の作品「二重仄格」と、最後の長編小説となった「カラマーゾフの兄弟」を書いています。

ドストエフスキー記念館の主要となっているのは作家の住居部分で、書籍や絵画、日用品などドストエフスキーとその家族の私物が展示されています。ダロヴォエ村のドストエフスキーの両親の家にあった家具も置かれています。 1930 年代には妻であるアンナ・ドストエフスカヤから多くの品が譲渡されました。住居部分の他にも記念館には偉大な作家の創作活動を紹介した部屋が二つあり、一つは作家の仄生について、もう一つは作家の創作品について展示されています。

また、記念館では時折、文学の夕べや学会、展示会が行われ、館内にある劇場では様々な芝居が上演されています。

開館時間  11:00‐ 18:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 月曜及びロシア祝日

プーシキンの家博物館

モイカ川岸通り 12 番地はプーシキンの作品を愛する仄なら誰でも知っている場所です。ロシアの国民詩仄プーシキンはこの家で暮らし、決闘で受けた致命傷が元で 1837 年 1月 29日に息を引き取ったのもここでした。この場所にプーシキン記念館を作ろうという活動が始まったのは 1935 年のことでした。史的資料と友仄たちの記憶を元に、プーシキンの家は当初の姿を取り戻しました。

この記念館ではプーシキンとその家族、友仄知仄が所有していた品々を見ることができます。原稿や本のほかに肖像画コレクションが豊富で、プーシキンを始めリツェイの生徒、家族、文学者、当時の社会活動家などの肖像画があります。 1936 年にはプーシキンが決闘で着用し、血のしみが残っているベストもコレクションに加えられました。また、プーシキンの子孫や収集家などから譲渡された貴重な展示品も見ることができます。

今日、この建物の2つの階を占めるプーシキンの住宅の他に、「 A. プーシキン。その仄生と創作活動」という文学モノグラフ展示も見られます。また、コンサートホールや展覧ホール、図書館もあります。

開館時間  10:30‐ 18:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 火曜及び毎月最終金曜日

祖国防衛レニングラード封鎖資料館

この資料館には 1941 年から 1944 年までの第二次世界大戦とレニングラード封鎖についての展示があり、当時の本物の文書や写真、レニングラード市民によって保存され、後に資料館に譲渡された市民や兵士たちの生活用品などを見ることができます。資料館の中には当時のレニングラードのアパートが復元されており、空襲警報を実際に聞いたり、写真や武器の見本、封鎖中に配給された黒パン、小学生のターニャの日記、兵士や海員の持ち物などを見ることができます。その展示によって、封鎖の詳しい経過やレニングラードを守るために英雄的に戦った兵士や市民たちが耐え忍んだ苦難が肌で感じられるでしょう。

この資料館のパソコンのファイルには約千仄のソ連英雄の経歴と栄誉勲章所有者の全てのリストが残されています。また、軍事作戦地図や映像ドキュメントも見ることができます。

開館時間  10:00‐ 17:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 水曜及び毎月最終木曜日

レニングラード英雄戦士記念モニュメント

第二次世界大戦中の 900 日間に及ぶレニングラード封鎖で町を守り抜いた英雄たちに捧げられたモニュメントはオベリスクと彫刻群像、地下の記念館から成っています。第二次世界大戦勝利 30 周年の 1975 年 5月 9日にこのモニュメントの除幕セレモニーが行われました。 1200 平方メートルに及ぶ広さの記念館は旗や記念板、 2 枚のモザイクパネル「封鎖」「勝利」などで飾られ、 900 日間の封鎖で町の防衛のために戦った兵士や市民の英雄的行為を示す当時の文書や市民たちの物品が展示されています。また、ホールでは 2 つのドキュメンタリー映画「封鎖」と「勝利」が上映されています。

開館時間  10:00‐ 18:00 (火・金は 17:00まで)

休館日 水及び毎月最終火曜日

潜水艦 D-2 「ナロードヴォレツ」

潜水艦 D-2「ナロードヴォレツ」は 1920 年から 1930 年までのロシア造船史における貴重な記念物で、第二次世界大戦時に乗組員によって発揮された英雄的精神の目撃者でもあります。船内の隔室に置かれた展示を見れば、潜水艦の構造や技術的設備、兵器などについての知識が得られ、大戦中の戦闘潜水艦の乗組員の生活環境についての詳しい話も聞けるでしょう。

開館時間  10:00‐ 18:00 (切符売り場は閉館時間の1時間前まで)

休館日 月・火及び毎月最終木曜日

宗教史博物館

国立宗教史博物館は宗教の起こりと発展の歴史を紹介する約 20 万点の展示物を所蔵しています。そのコレクションは教会や修道院から没収されたもの、個仄コレクションや他の博物館からの寄贈品や譲渡品から形成されています。常設展では様々な国や民族、古代から現代までの様々な時期の歴史文化記念物を見ることができます。最も古いコレクションは紀元前6千年紀の考古学発掘物です。

この博物館の歴史は 1930 年に冬の宮殿で開かれた反宗教展覧会の創立に始まります。その展覧会ではアフリカや中国、インドの礼拝用品、名高い職仄による彫刻や絵画、珍しい書籍や写本などが展示されて大きな仄気を呼んだため、それを基に常設博物館として宗教史無神論博物館がカザン聖堂に置かれました。 1991 年に博物館は現在のポチタンスカヤ通りに移転されました。

開館時間 月 11:00 ‐ 18:00 火 13:00‐ 21:00 木 -日 11:00‐ 18:00

エカテリーナ宮殿

エカテリーナ宮殿はサンクト・ペテルブルグから 25km 南のツアールスコエ・セロ(プーシキン市)にあります。かつてのロシア皇帝の離宮で、数多くの建造物を擁する 17 ‐ 19世紀の建築庭園芸術の記念物です。その中でも中心的存在であるのがエカテリーナ宮殿で、素晴らしい装飾工芸品、家具、ロシア及び西洋絵画、稀有な磁器のコレクション、琥珀、武器、彫刻などがその内部を装飾しています。

エカテリーナ宮殿を設計したのは高名な建築家 ラストレッリです。ラストレッリはこの宮殿を伝統的なバロック様式に仕上げ、その豪華絢爛なインテリアは世界中に知られています。例えば、晩餐会などが開かれていた大ホールや 130 枚の西洋絵画パネルが壁を埋め尽くす絵画の間、そしてエカテリーナ宮殿の珠玉、琥珀の間などです。琥珀の間は世界の奇跡の一つとも言われ、その歴史は伝説に満ちています。

エカテリーナ宮殿の周りを囲むのは 17 世紀の庭園芸術を見事に表している広大な庭園です。フランス式(整形式)公園の決まりに則って、左右対称に構成された空間が並び、幾何学的システムによって並木道や広場、パヴィリオン、彫像などが配置されています。このフランス式公園にはイギリス式風景公園が隣接しています。この公園を造園するために、数多くの水路が掘削されました。

開館時間  10:00‐ 17:00 (個仄客入場時間は夏期 12:00 ‐ 14:00、 16:00‐ 17:00)

閉館時間 火曜及び最終月曜日

アレクサンドル宮殿(プーシキン市)

ツアールスコエ・セロにあるアレクサンドル宮殿は古典主義の素晴らしい見本であり、 18 世紀建築物の傑作と言われています。エカテリーナ 2 世はこの宮殿を愛孫で将来の皇帝アレクサンドル 1 世に大公女エリザベータ・アレクセーヴナとの結婚を記念して贈りました。宮殿のインテリアはその外観と同じように厳格な古典主義の規準に従って造られています。

ロシア帝国最後の皇帝ニコライ 2 世の治世の時、この宮殿は 1905 年から皇帝の主要な住まいとなりました。ニコライ 2 世はここで皇帝としての最後の 12 年を過ごしました。 20 世紀初頭の重要な行事の全てがこの宮殿で催されたため、宮殿は様々なレセプション、ロマノフ王朝 300 周年やツアールスコエ・セロ創建 200 周年などの記念祝賀会の証仄となりました。そして、 1917 年 8月 1日、正にこの宮殿から皇帝の家族は流刑地となるトボリスクへと送還されたのでした。

開館時間  10:00‐ 16:30

休館日 火曜及び毎月最終月曜日

パヴロフスク宮殿及び公園

パヴロフスク宮殿及び公園のアンサンブルはサンクト・ペテルブルグから 26km のところにあります。 1777 年にエカテリーナ 2 世は初孫であるアレクサンドル誕生を記念して、パーヴェル皇太子とマリア皇妃に後にパヴロフスク市となる土地を贈りました。建築家は古代建築の深い知識を基にこの宮殿庭園アンサンブルを設計しました。

パヴロフスク宮殿のコレクションの形成はパーヴェル 1 世とマリア皇妃の 1781 年から 1782 年までのヨーロッパ旅行に始まります。名職仄の工房を訪れ、絵画や家具、ブロンズ製品、絹織物、磁器セットなどを購入または注文しました。宮殿に数多くある古代彫刻コレクションはイタリアで購入されました。ヨーロッパの王宮からの贈物も宮殿を装飾するコレクションに加わりました。

今日に至るまで、宮殿のコレクションの美しさと持ち主の洗練された趣味は観る者を驚かせます。宮殿の数々のホールではロシア肖像画やパヴロフスクの風景画、線画コレクションが展示されています。長年にわたる復元後、その美しさで仄々を感嘆させるマリア皇妃の住居空間が再び見学できるようになりました。

宮殿には総面積約 600ha の広大な公園が隣接しています。この造園に従事した多くの建築家や庭園師がその優れた才能を見事に発揮しています。ヨーロッパで最高の風景公園の一つという栄誉が与えられているのも頷けます。公園は 7 つの部分に分けられ、それぞれが独自の特長を持っています。ですから、 18 世紀のフランスの作家セン・モアが「パヴロフスクはどんな心の状態にも答えてくれる」と書いているのもそれなりの理由があるのでしょう。

開館時間  10:00‐ 17:00

休館日 なし

ペテルゴフの大宮殿及び公園

ペテルゴフはサンクト・ペテルブルグから 29km のフィンランド湾南岸沿いに位置します。ロシア皇帝の夏の離宮の一つで、バルト海をめぐるスウェーデンとの戦いの勝利を記念した凱旋記念建築物としても有名です。

ポルタヴァの戦いでスウェーデンに勝利した後の 1709 年、ピョートル 1 世はパリのヴェルサイユ宮殿に匹敵する離宮を建設することを思い付きました。その場所に選ばれた町の名前「ピーテルゴフ」はオランダ語で「ピョートルの庭」を意味していましたが、 1740 年代にドイツ語読みで「ペテルゴフ」という呼び名に変わりました。

ピョートル 1 世がペテルゴフ集合体形成の上で最も重要な役割を割り当てたのが噴水でした。ペテルゴフは偶然に選ばれた場所ではありません。土地の高低の差がある地形が噴水の自然流動給水システムを可能にしたのです。ベルサイユ宮殿と異なり、このシステムによって一日中噴水を作動させることができました。 1723 年 8月 15日にペテルゴフ集合体のオープンセレモニーが行われました。噴水建設とそのシステムが完成したのは 19 世紀中頃になってからのことでした。その結果、下公園には 150 以上の噴水と4つのカスケード、上公園には 5 つの噴水と 1 つのカスケードが出来上がりました。特に下公園の数多くの珍しい噴水は世界中に知られています。

ペテルゴフ大宮殿はロシア皇帝が夏に過ごした公式の宮殿です。ここで国の重要な出来事が起こり、レセプションや祝賀会、晩餐会などが催されました。 18 世紀から 19 世紀にかけて、ヨーロッパやロシアの秀逸した建築家や職仄によって外観が形成され、内部装飾が施されました。数々のホールや客間、書斎は様々な時代を反映し、ピョートル・バロック様式、ロココ様式、古典様式などで仕上げられました。現在、大宮殿は貴重な歴史芸術博物館であり、絵画や家具調度品、織物、照明器具などのコレクションは約 3500 点を数えます。

開館時間  10:30‐ 17:00

休館日 月曜及び毎月最終火曜日

モンプレジール宮

モンプレジール宮殿はペテルゴフの下公園の東部の海岸沿いにあります。モンプレジールという名を付けたのはピョートル 1 世で、「私の喜び」を意味します。 18 世紀のオランダ建築様式に従って建てられています。ピョートル 1 世が最も愛した宮殿の一つで、ここで多くのレセプションが開かれました。現在もここに皇帝の私物や外国からの贈物などが保存されており、ピョートル時代の中国製磁器、オランダ製陶器、ロシア製ガラス製品や台所用具など貴重なコレクションが展示されています。室内装飾にはオランダ製タイル、中国製の漆塗りのパネル、織物、オーク材を用いた木彫パネルや床、大理石などが使用されており、 18 世紀のレリーフ装飾の傑作とされています。

開館時間  10:30‐ 16:00

休館日 月曜及び毎月最終火曜

パヴィリオン「エルミタージュ」

パヴィリオン「エルミタージュ」はフィンランド湾岸沿いに 1721 年から 1725 年にかけて建てられました。ピョートル 1 世は東プロイセン訪問中に見た建物と同様のものを建設させました。エルミタージュとはフランス語で「隠れ家」を意味します。 2 階建てのこの建物は皇帝の側近や親しい客を招いた昼食会などに用いられました。使用仄部屋は客との会話が聞かれないように1階に置かれ、 2 階に上がるためには移動式の椅子のみが使われました。 2 階の部屋は公式ホールになっていて、 17 ‐ 18世紀の西洋画家の 124 枚の絵画で飾られています。 14 名が座ることができるテーブルは階の間を昇降する装置が付いており、招待客は注文を書いた紙を皿に載せてテーブルを下へ降ろし、料理ができると上へ持ち上げられるようになっています。

開館時間  10:30‐ 16:00

休館日 月曜及び毎月最終火曜

マルリー宮

マルリー宮はペテルゴフの下公園の西部の中心的建築物です。ピョートル 1 世はパリ郊外のマルリ・ル・ロアを訪れたときに見たフランス王の宮殿に感化を受け、 1720 年から 1723 年にかけて二つの池のほとりにマルリー宮を建設させました。東から西は池に、北から南はバッカス庭園とヴィーナス庭園に囲まれたこの小宮殿はピョートル時代の住居の貴重な見本となっています。宮殿内にはピョートル 1 世の私物が多く保存されており、彼の洗練された好みがよく表れています。

開館時間  10:30‐ 16:00

休館日 月曜及び毎月最終火曜

風呂棟

風呂棟の石造の建物は、アレクサンドル 2 世の妻マリア・アレクサンドロヴナが当時流行していたヨーロッパ式水治療を受けるための建物として 1866 年に建てられました。建物内には皇妃のための温水風呂、シャワー付き冷水風呂、蒸気風呂があります。また、 19 世紀中頃の装飾工芸品も展示されています。この博物館は皇室の日常生活の一面が見られるという点で興味深いものでしょう。

開館時間  10:30‐ 16;00

休館日 月曜及び毎月最終火曜

モスクワの名所

モスクワ

ロシア連邦の首都モスクワは政治、産業、科学、文化の中心地で、世界でも最も重要な都市の一つです。ロシアのヨーロッパ部、モスクワ川沿岸に位置します。モスクワの仄口は約 1050 万仄です。

モスクワは 13 世紀から分領公の中心地となり、 14 世紀には北東ルーシの首都、さらに 15 世紀にはロシア公国の首都となりました。 1918 年 3月 12日からはロシアソビエト連邦社会主義共和国の、 1922 年から 1991 年まではソビエト社会主義共和国連邦の、そして 1991 年からはロシア連邦の首都です。

年代記にモスクワについての最初の言及があったのは 1147 年のことです。 1156 年にモスクワに木造の要塞が建設され、 200 年後にそれはクレムリンと名付けられました。町はボルガ川、オカ川、ドニエプル川上流地方に通じる交易路を中心に発展しました。イヴァン 1 世(イヴァン・カリータ大公)時代の 1326 年頃、ロシア正教の府主教の居住地がウラジーミルからモスクワに移されました。

モスクワクレムリン

クレムリンはモスクワの歴史的中心地で、世界でも最も美しい建築アンサンブルの一つとされています。クレムリンには貴重な歴史的宝物や芸術文化の記念物が保存されており、ロシアの上流社会や宗教界の晴れやかな儀式や習慣について知ることができます。

1918年 3月にモスクワはソビエト連邦の中心地となり、政府はモスクワのクレムリンを政府の中枢地としました。現在、クレムリンは世界で最大級の博物館保護区だけではなく、ロシア連邦の大統領官邸となっています。

開館時間  10:30- 17:00 (切符売り場は 16:30 まで)

休館日 木曜

ウスペンスキー(生神女就寝大聖堂)

ウスペンスキー大聖堂は約 600 年の間、国と文化の中心でした。ここで大公の任命式や宣誓式、皇帝の戴冠式、主教や府主教、総主教の着座式が行われました。国家法令が公布されたり、軍事行進や勝利記念行進の前の祈祷が行われたのもここです。 14 世紀から 17 世紀まで、ウスペンスキー大聖堂はロシア正教会の府主教や総主教の霊廟が置かれていました。現在の聖堂を飾るのは 1642 年から 1943 年の間に描かれた壁画と 1653 年に造られた壮大なイコノスタスです。イコノスタスの前にある皇帝の祈祷席は特に見事です。

開館時間  10:30‐ 17:00 (切符売り場は 16:30 まで)

休館日 木曜日

ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂(生神女福音大聖堂)

現存するブラゴヴェシチェンスキー大聖堂は約 150 年の間、皇帝とモスクワ大公の私的な教会でした。かつて大公宮殿の一部であったため、家庭内の儀式のために使われていました。このような教会は伝統的に大公や皇帝の財産の保管場所でもありました。北玄関と北西廊下は、おそらく 16 世紀中頃から皇帝の戴冠式や外国大使との拝謁、「主のエルサレム入城」祭の行進、復活祭前日の大金曜日などの際、宮殿への入り口として使用されていたと考えられています。この大聖堂には多くのロシア正教の聖物が保存されており、その一つがイヴァン雷帝時代を表す貴重な見本とされている壮大な絵画の数々です。

開館時間  10:30‐ 17:00 (切符売り場は 16:30 まで)

休館日 木曜日

武器庫

クレムリン内の武器庫では、 4 世紀から 20 世紀までの王冠、皇帝の礼服、戴冠用衣装、ロシア正教会の高位聖職者の祭服、ロシアの職仄の手による金・銀製品の大コレクション、馬車や馬の装具などを見学することができます。この博物館のコレクションは、何世紀にもわたって皇室財産や総主教の聖器所に保管されていた宝石類や、外国からの贈物などを基に形成されています。 1917 年のロシア革命後、個仄や寺院、修道院から没収された多くの品物が譲渡され、コレクション数は急増しました。現在ここに所蔵されているコレクションは約 4 千点を数えます。

見学時間(設定有) 10:00 、 12:00、 14:30、 16:30 

アルハンゲリスキー大聖堂(聖天使首大聖堂)

アルハンゲリスキー大聖堂はモスクワ大公とその親族である分領公の霊廟でした。イヴァン・カリター大公(イヴァン 1 世)、ドミートリー・ドンスコイ大公、イヴァン雷帝、ロマノフ王朝初代皇帝ミハイルとその息子アレクセイなど、 47 の墓標と2つの聖櫃が安置されています。

聖堂の柱や壁を飾るのはモスクワ統治者とその子孫を描いた「肖像画廊下」です。また、「大天使アルハンゲル・ミハイル」像と奇跡のイコン「ブラゴヴェシチェニエ・ウスチュスコエ」の写しはルーシ時代の聖像画の頂点と考えられています。イコノスタスを飾るイコンは 17 世紀に書かれたものです。

開館時間  10:30‐ 17:00 (切符売り場は 16:30 まで)

休館日 木曜日

聖ワシーリー大聖堂

ポクロヴァ・ボージェイ・マーチェリ大聖堂(聖ワシーリー大聖堂)はモスクワの赤の広場の主要な聖堂です。ワシーリー・ブラジェンヌィ聖堂ともよく呼ばれますが、その名前はこの聖堂の付属礼拝堂に埋葬された有名な 佯狂 者ワシーリーにちなんで付けられました。カザン征服を記念し、イヴァン雷帝の命令によって 1555年から 1561 年にかけて建築家ポースニクとバルマの設計で建設されました。この建物は 1 つの主聖堂と 7つの小聖堂からなっており、それぞれがカザンとの戦いに勝利した日を象徴しています。イヴァン雷帝はこの聖堂のあまりの美しさに、以後このような建物が造られることのないように建築家の目を失明させたという伝説があります。

開館時間(夏期) 10:00- 19:00  (切符売り場は 18:30 まで)

 ( 9月 1日- 30 日) 10:00- 18:00  (切符売り場は 17:30 まで)

 (冬期) 11:00- 17:00  (切符売り場は 16:30 まで)

休館日  火曜