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「リュドミラ・ツアーズ」の人気ツアー

このページでは、「リュドミラ・ツアーズ」で人気のツアーをいくつかご紹介します。ポピュラーなツアーでも忘れられない思い出になり、ペテルブルグをよく知っている人も驚かせることができるでしょう。これからご紹介するツアープランは家族、個人はもちろん、高校や大学、企業団体などのグループにもおすすめのツアーです。

サンクト・ペテルブルグ市内観光

このツアーでは、経験豊富なガイドとともにサンクト・ペテルブルグの名所を回ります。ガイドは、車中や見学中にこの町ができるまでの興味深い歴史や、昔から伝わる町にまつわる多くの伝説や言い伝えについてお話します。

 このツアーには次の場所が含まれます。

ネフスキー大通り  町のメインストリートで、その建築アンサンブルは世界中でも有名です。この大通り沿いには有名なストロガノフ邸、メルテンスショッピングセンター、詩人プーシキンが決闘の前に介添人のダンザスに会ったヴォルフ・ベランジェ菓子店、ガスチーヌィ・ドヴォール百貨店、カザン聖堂、アニチコフ宮殿、プーシキン名称国立アカデミードラマ劇場(アレクサンドリースキー劇場)などがあります。

宮殿広場  サンクト・ペテルブルグの中心にある広場で、祝日や式典の際はパレードが行われ、散歩を楽しむ人々でいっぱいになります。また、ここではロシアの歴史上重要な革命や事件が起こっていることでも有名です。

宮殿川岸通り この通りの名前の由来はロシア建築の記念物である冬の宮殿から来ています。冬の宮殿の他、小・大・新エルミタージュ、エルミタージュ劇場からなる国立エルミタージュ美術館は、18世紀の終わりからこの川岸通りに素晴らしい外観を形成しています。  

芸術広場  この広場は都市建設芸術の見本とも言える作品で、その建築アンサンブルは国立ロシア美術館、ミハイロフスキー劇場(旧ムソルグスキー名称オペラバレエ劇場)、ミュージカル・コメディ劇場、ロシア民俗学博物館、シェスタコーヴィッチ名称国立フィラルモニアなど、芸術に関する建物からなっています。

イサーク広場   この広場の一番の飾りとなっているのはイサーク大聖堂で、そのドームの大きさは世界で 4 番目です。他にもこの広場の周りには、第二次世界大戦時にヒトラーが勝利祝賀パーティーを開こうとしていたが結局実現しなかったという伝説のアストリアホテルや 20 世紀初めの建築群が立っています。

キリスト復活聖堂(スパース・ナ・クラヴィ) ロシア様式の聖堂でモスクワのワシーリ・ブラジェンヌィ聖堂に外観が似ています。皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所に記念碑として建てられました。

ワシーリー島  この町の創立者ピョートル1世の考えでは、このワシーリー島は町の政治・商業・文化の中心になる予定でした。この島一番の名所はワシーリー島の岬で、古典主義時代のロシア建築の見本となりました。

この市内観光ツアーでは、他にも多くの記念建築物を見ることができます。これらの名所を見学すれば、サンクト・ペテルブルグという町がよくお分かりになるでしょう。私共の目的は、初めてサンクト・ペテルブルグを訪れる方だけでなく、町に生まれ育ったペテルブルグっ子にも興味深いものになるツアーを提供することです。ご希望があれば、このツアーにペトロパブロフスク要塞、イサーク大聖堂、スパース・ナ・クラヴィの見学を含めることができます。

ペトロパブロフスク要塞

サンクト・ペテルブルグの町としての歴史はペトロパブロフスク要塞への礎石から始まりました。この要塞はスウェーデンとの北方戦争で奪還した領土を守るために建てられました。要塞の名前は内部にあるペトロパブロフスク聖堂から付けられましたが、この聖堂は使徒ペテロとパウロが祀られています。 この要塞の歴史は常にサンクト・ペテルブルグとロシアの歴史上の出来事に深く関わっていました。18世紀の最初の10年間は要塞は祝典の場所として用いられていましたが、後にロシア皇帝が埋葬されるようになりました。また、この要塞は1718年から政治犯の収容所となり、最初に収容されたのはピョートル1世の息子であるアレクセイでした。

ペトロパブロフスク要塞内の見学施設

ペトロパブロフスク聖堂と大公廟及びロマノフ王朝の霊廟  聖堂内にはピョートル1世から最後の皇帝ニコライ2世までのロマノフ王朝の歴代皇帝の歴史やペトロパブロフスク聖堂についての展示があります。

トゥルベツキー稜堡の刑務所 刑務所内の展示では囚人のその後の運命や収容所の生活環境、日課などについて知ることができます。 

ペトロパブロフスク聖堂の歴史資料館 ここにはペトロパブロフスク要塞の歴史建築集合体についての500以上の展示があります。

  ペトロパブロフスク聖堂の鐘楼

サンクト・ペテルブルグ(1703)-ペトログラード(1918)の歴史資料館  コメンダンツキー館内にあり、18世紀から20世紀初めまでのサンクト・ペテルブルグの町の歴史についての展示があります。

V.グルシコ名称宇宙航空術・ロケット技術博物館 19世紀から20世紀におけるロシアのロケット技術と宇宙航空術の発展の歴史についての展示があります。

博物館《時代通り》 この博物館の展示路は町の通りのようになっており、18-20世紀の町並みが再現されています。

要塞内では他にもピョートル1世のボートを保存するボート小屋や造幣局、ネフスキー門、ピョートル門、ピョートル1世像などがあります。特に興味を引くのは、ガスダリョフからナルィシキン稜堡まで屋根伝いに歩くことかもしれません。

要塞の見学中にはガイドが宮廷のクーデターや歴代のロシア皇帝たちの人生、要塞の壁に潜んでいる伝説などをお話します。19世紀の政治犯収容所の囚人の気持ちを感じられるのではないでしょうか。

エルミタージュ

エルミタージュを一度でも訪れた人は、荘厳な冬の宮殿とおよそ300万点にも上る貴重なコレクションを度々思い出されるに違いありません。

エルミタージュは世界の四大美術館の一つに数えられます(他にはパリのルーヴル美術館、ロンドンの英国博物館、ワシントンのナショナル・ギャラリー)。その展示品は冬の宮殿、小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュなどの何百ものホールに飾られています。100年近い時間をかけて形成されたこの美術館の建築群は比類なき芸術のアンサンブルを成しています。この美術館の年間訪問者数は350万人を超えています。

エルミタージュの創立は1764年にエカテリーナ2世が絵画の大コレクションを購入したときとされています。当時は女帝の私有美術館であり、一般人は入場できなかったため、フランス語で「隠れ家」を意味するエルミタージュという名前が付けられました。18世紀から20世紀のヨーロッパで売買されていた芸術品のほとんどをロシア貴族が買い占めていたため、美術館のコレクション数は急速に増大しました。19世紀中ごろに新エルミタージュが開館し、公共の美術館となりましたが、皇室の住まいであったために入場は限られており、本当の意味で市民にその扉が開かれたのは1917年の革命後からでした。そして美術館はロシア皇室、大公、貴族の芸術品を集めた国立美術館となったのです。その後、考古学の発掘が進み、コレクション数は大幅に増えました。

エルミタージュでは、多くの西洋美術の傑作や冬の宮殿の公式のホールやかつての皇室の住まいなどが見学できます。知識豊富なガイドの説明は子供の興味をも引き、専門家の知識さえも深めるものとなるでしょう。さまざまな分野のコレクションがありますので、お客様のご希望により、テーマ別の見学コースを組むことも可能です。また、ロシア皇室の珍しい宝飾品が保存されている黄金庫・ダイヤモンド庫の見学もご希望があればご予約いたします。

ロシア美術館

ロシア美術館の主なコレクションは、かつてはエルミタージュや芸術アカデミー、ツアールスコエ・セロのアレクサンドル宮殿、そして個人の所有だったものが寄贈されたロシア絵画や彫刻から成っています。1917年の革命後にコレクションの数は増大しました。この美術館には世界でも有数の民族造形芸術品が多く所蔵されています。展示品の数は35万点を超え、古代から現代までの祖国芸術の千年近い歴史を反映するものとなっています。絵画の傑作の他に海外でも有名なのは、ロシアとソ連時代の秀逸の版画や線画が数多くあることで、彫刻のコレクションも国内最大です。また、装飾工芸品や民俗芸術品の珍しいコレクションも一見の価値があります。

ロシア美術館の所蔵品は年代順に、画派や芸術の傾向別に展示されています。ガイドはロシアの歴史がどのような形で芸術家の作品の中に現れ、ロシアの芸術の発展にどんな影響を与えたか、また、作品が展示されている画家の人生についてもお話しします。

ロシア美術館のある旧ミハイロフスキー宮殿は長い歴史を持つ建物で、その持ち主の興味深い歴史についてもガイドがご説明いたします。 次に、ロシア美術館の分館を含めた全ての建物についてご紹介いたします。

ミハイロフスキー宮殿とベヌア館  ロシア美術館の本館には、およそ35 万点の古代イコンからロシア・アヴァンギャルドまで、ロシア革命前後までのロシア芸術の展示があります。A.ルブリョフ、デイオニシア、F.シュービン、D.レヴィーツキー、V.ボロヴィコフスキー、K.ブリュリョフ、F.ブルーニ、O.キプレンスキー、A.イヴァノフ、I.レーピン、A.クインジー、I.シーシキン、V.セローフ、M.ヴルベリャ、P.アントコリスキー、B.クストディエフ、K.マレーヴィッチ、V,カンディンスキー、P.フィロノフ、M.シャガール、K.ペトロフ-ヴォトキンなどの著名な画家たちの作品が所蔵されています。

ミカエル(工科大)城塞  パーヴェル1世が暗殺された場所として知られています。城塞内の常設展には「城塞とその住人の歴史」「古典的題材を用いたロシア芸術家」などがあります。

大理石宮殿  この宮殿では主に、ロシア美術館に寄贈されたヨーロッパやロシア、アメリカの現代画家の作品の展覧会が開催されています。

ストロガノフ宮殿  宮殿の歴史のあるインテリアの中にある「ストロガノフ家の宝」という展示では鉱物のコレクションやストロガノフ家がロシアの寺院建築に貢献した書類などを見ることができます。

ピョートル1世の夏の宮殿  ピョートル時代の貴重な建築記念物で、中には18世紀初めの工芸品や家具、ピョートル1世の礼服、A.ナルトフの旋盤などが展示されています。

プーシキン

サンクト・ペテルブルグから南へ25kmのプーシキン市には、ツアールスコエ・セロ国立博物館保護区があります。かつてロシア皇帝の離宮であったツアールスコエ・セロの宮殿・公園アンサンブルは17-19世紀の世界建築・庭園芸術の素晴らしい記念物と言えます。このアンサンブルの中心となるエカテリーナ宮殿はバロック様式の建物で、特に目を引くのは豪華絢爛な大ホールや公式の部屋が続く黄金の縦列、そして世界的に有名な琥珀の間です。そして、建物の内部を優雅な装飾工芸品や家具、絵画、珍しい磁器のコレクション、琥珀、彫刻などが飾っています。

エカテリーナ宮殿と隣接するアレクサンドル公園の敷地内には100以上の記念物があり、その中には宮殿の他にパヴィリオンや橋、大理石のモニュメント、ゴシック様式のエキゾチックな建物、トルコ風や中国風の建築物などが挙げられます。アレクサンドル宮殿は古典主義の最も優れた建築物として有名です。この宮殿はもともとエカテリーナ女帝が孫のアレクサンドル1世に贈ったものですが、ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世の最後の居住地としても知られており、皇帝とその家族はまさにこの場所から処刑地へと送られたのでした。宮殿内の皇室の住まいだった部屋々々を歩き、モダン様式の皇帝の公式の書斎などを見ていると、ロマノフ王朝最後の皇帝の芸術への思いが感じられます。

プーシキン市と切っても切り離せないのはロシアの国民詩人A.プーシキンとその創作です。エカテリーナ宮殿の翼部にある4階建ての建物はアレクサンドル1世が特級階級の男子のために創立した学習院「リツェイ」ですが、プーシキンもここで学んでいます。

プーシキン市へのツアーはお客様にとってきっと忘れられないものになるでしょう。国立博物館保護区ツアールスコエ・セロの賞賛すべきところは、どんな好みや気分にも合う場所が見つけられることです。ロシアバロック様式のエカテリーナ宮殿の壮大さ、古典主義のアレクサンドル宮殿や多くのパヴィリオンの厳格さに感嘆せずにはいられないでしょう。左右対称で幾何学的なフランス式庭園とロマンチックな景色が楽しめるイギリス式庭園での散歩はどんな天気でも良い思い出になるでしょう。詩仄プーシキンがその短い仄生の中で何度も「あの美しいツアールスコエ・セロの庭園」のことを思い出し、多くの詩をこの町に捧げたのもそれなりの理由があるのです。

この町のツアーにガイドと一緒にお出かけになれば、あなたの専属ガイドは庭園のどんな小さな一隅についても興味を引く話をお聞かせします。エカテリーナ宮殿では歴代の主人の生活やエピソードだけでなく、秘密の話も聞けるでしょう。プーシキン市はサンクト・ペテルブルグの郊外の町でもあるので案内人がいれば、安心して旅を任せられます。夏期は大変込みますので、できるだけ前からエカテリーナ宮殿への入場予約をすることをお勧めします。

パヴロフスク

パヴロフスクは17世紀末から19世紀初頭にかけての宮殿庭園アンサンブルで有名で、かつてはパヴェル1世とその家族の夏の離宮でした。パヴロフスク宮殿の厳格な外観は豪華な内部装飾とコントラストをなしています。宮殿のインテリアの中でも特に目を引くのはイタリアの間とギリシャの間、そしてパーヴェル1世の妻マリア妃の優雅な住居空間です。

イタリアの間はローマのパンテオン神殿をイメージして造られており、円形の部屋に上部から光が差し込み、聖堂のような印象を受けます。ホール内には大理石製の古代ローマの彫刻が飾られています。

ギリシャの間という名前はこのホールが古代ギリシャ風に仕上げられたことから名付けられました。洗練された緑がかった人工大理石の円柱で飾られ、古代神殿の中庭のように感じられます。

絵画ギャラリーに立つと、この部屋をデザインした建築家ブレンナの好みが伝わってきます。このホールはロシアの宮殿には必ずこのようなギャラリーが必要だという18世紀の伝統に従って作られており、イタリア・オランダ絵画が飾られています。

大ホール(または玉座の間)はまず400平方メートルという広さで訪れた人を驚かせます。この広大なホールは公式な謁見や晩餐会などに用いられました。

宮殿はヨーロッパでの最大級の風景式公園に囲まれており、その庭園アンサンブルは50年の時間をかけて造り上げられました。この宮殿庭園アンサンブルの創立者たちの構想に従い、パヴロフスクは人間が自然との会話によって喜びと心の調和を見つけられる場所になりました。パブロフフクの宮殿庭園アンサンブルが19世紀のロシアの邸宅建築の見本となったことも納得がいきます。

パヴロフスクは一年中どんな季節に行っても素晴らしい思い出ができるでしょう。パヴロフスクはプーシキン市に隣接しているので、プーシキンとパヴロフスクの両方を訪れるツアーを組むことができますが、もし時間の余裕があれば、是非この場所を1日かけてゆっくりご覧になることをお勧めします。パブロフスク宮殿の特筆すべき価値は、サンクト・ペテルブルグの離宮のうちこのパヴロフスクだけが唯一第二次世界大戦後完全に復元されていることです。ですから、宮殿の住人が実際に生活していたときの雰囲気を感じることができるのは、ここ、パヴロフスクだけです。パヴロフスクへのツアーでは宮殿の美しさを愛でるだけでなく、広々とした公園で風景を楽しみながら散歩することができます。18世紀のフランスの作家セン・モアが「パヴロフスクはどんな心の状態にも答えてくれる」と書いていますが、それは第一にこの公園のことを言っているのでしょう。

ペテルゴフ

    ペテルゴフはサンクト・ペテルブルグから西へ 29km のバルト海のフィンランド湾沿いに位置します。サンクト・ペテルブルグの創始者ピョートル 1 世は 1700 年から >1721 年まで続いた北方戦争での勝利とバルト海への出口の奪還を記念してこの場所に離宮を建てることを決めました。ペテルゴフで何といっても有名なのは、 150 以上の噴水と4つの大カスケードを擁する上公園と下公園です。公園内ではいたずらの噴水やアンサンブル噴水などを楽しむことができます。これらの噴水のシステムは珍しく、水圧設備もポンプも使用せず、土地の高低差を利用した水圧だけで噴水が噴き上げられています。公園のスタイルは左右対称の整形式が取られており、中央に位置する大宮殿と大カスケードが全てのコンプレクスを統合する役目を果たしています。大宮殿はロシアで最も見ごたえのある宮殿の一つで、絵画や彫刻、装飾工芸品などの素晴らしいコレクションが展示されています。

大宮殿の見所

ピョートル1世の書斎  ピョートル時代の名残を残した書斎

チェスメンホール 装飾の全てが 1768 年から 1774 年までの露土戦争におけるロシア海軍の勝利を記念したものとなっています。

絵画の間  この部屋に掛けられる 368 枚の小型の絵画の大部分は世界各国の民族衣装を着た女性が描かれています。

中国風書斎  漆塗りのパネル絵で飾られており、珍しい東洋製の家具や磁器が置かれています。

ソファーの間、ライチョウの間、化粧部屋、王冠の間、寝室  エカテリーナ女帝時代、休息の間として使われた部屋々々

大宮殿の独創的な台座の役目を果たしているのが大カスケードで、そのテラスからは下公園の中心部分が見渡せる大パノラマが広がっています。下公園内には8つの宮殿とパヴィリオンがあります。公園の東側にはモンプレジール宮、エカテリーナ棟、風呂棟などがあり、西側にはマルリー宮、エルミタージュ、皇帝のボート館などがあります。それぞれが独自の特徴を持ち、興味深い展示が見られます。

    陳列館の数としてはペテルゴフが近郊の町の中で一番多くなっています。それらはどれも多種多様で、飽きることがありません。ペテルゴフへ行くまでの間、ガイドが事前に噴水の装飾のシンボルの意味を説明してくれますから、それらの秘密も知ることができます。下公園の噴水を眺めていると、なぜピョートル1世がペテルゴフをこよなく愛し、この地を「パラダイス」つまり楽園と名付けたのかがよくわかるでしょう。

ペテルゴフの噴水が作動しているのは夏期のみですので、ご注意ください。

また、アレクサンドリア公園内のコテージ宮も知る仄ぞ知る名所です。コテージ宮はゴシック様式で、イギリス郊外の邸宅をイメージして建てられました。アレクサンドリア公園はペテルゴフの下公園に隣接していますから、時間があればここまで足を伸ばしてみることをお勧めします。

川と運河

サンクト・ペテルブルグの大きな特徴は水に囲まれていることです。ロシアの歴史家カラムジンの言葉によれば、ピョートル1世がロシアの新しい首都を洪水が多い海のそばの沼地に定めたことは「大きな過ちであった」そうです。サンクト・ペテルブルグは世界で最も川と運河が多い町の一つです。町の創始者ピョートル1世は将来の首都を川と運河が網のように交差する「ロシアのアムステルダム」にしようと考えました。ですから、もともとあった川の支流に加えて、地下水の水位を下げて沼地の土壌を干拓し、運河が掘られました。

町の市内には約90の川とその支流、運河があります。それを全てあわせると全長約300キロメートルに達します。この数字には約20の全長160㎞の人工の運河は含まれていません。これだけの水の「路」があるため、それをつなぐ橋も多数あります。その数は市内全体で342あり、そのうち21がネヴァ川に架かる跳ね橋です。ネヴァ川はサンクト・ペテルブルグの主要水路で、その長さは市内だけで28kmあり、川の一番広い部分の幅は1200メートルにも及びます。

ネヴァ川・運河クルーズではサンクト・ペテルブルグの主要水路だけでなく、美しい橋や町の建築アンサンブルを川や運河からご覧になってください。ピョートル1世時代から町の重要な建物は川沿いに建てられてきましたので、建物を川から眺めると、その正面が見られるのです。この水上クルーズでは花崗岩の敷き詰められた美しい川岸通りや荘厳な橋、町の外観を形成する全てのものを楽しむことができます。また、「色のついた」橋(文字が読めない人のために目印として色が塗られたため)、吊橋、歴史のある橋などについての面白い話がガイドからたくさん聞けます。町を違う角度から見たことで、クルーズの後、きっとお客様の町の印象が変わることでしょう。

運河クルーズ中、ガイドがサンクト・ペテルブルグについての興味深い話をお聞かせします。また、このクルーズは1日のどんな時間帯にでも決行できます。

跳ね橋が上がる瞬間をご覧になりたい場合は、夜中のネヴァ川クルーズをお勧めします。白夜の美しいサンクト・ペテルブルグはきっと忘れられない思い出になるでしょう。

サンクト・ペテルブルグの聖堂と寺院

サンクト・ペテルブルグで最も有名な聖堂や寺院をいくつかご紹介いたします。

キリスト復活聖堂  この聖堂はスパース・ナ・クラヴィ(血の上の救世主教会)という名称でもよく知られていますが、19世紀初頭の記念すべき建築物です。ロシア様式で建てられていて、数々の伝説を持つモスクワの聖ワシーリー大聖堂を思い起こさせます。ロシア皇帝アレクサンドル2世の暗殺の場所に記念碑として建てられました。この聖堂が大人数の入場を見込んで建てられていないことは、その美しさで見る者を感嘆させずにはいられない内部装飾からもわかります。装飾の重要な要素はロシアン・モザイクで、内部の壁や柱、丸天井は全てモザイクで埋め尽くされています。また、当時の最高の職人によって施された天然石、琺瑯、色とりどりのタイルの豊富なコレクションも見事です。

イサーク大聖堂  ヨーロッパで最大級の主教座聖堂の一つで、世界で4番目の広さを誇ります。その外見やレリーフ装飾の多さからカトリック教会を思い起こさせますが、それは建築時、ピョートル1世がヨーロッパスタイルを真似て作らせたからです。聖堂の内部装飾はカラフルな貴石の博物館を思わせます。内部の床や壁には何種類かの大理石(白、緑、黄、ピンク、赤)と黒の頁岩(スレート)が使われています。また、ここには碧玉や斑岩で作られたパネルがあり、聖障は孔雀石やラピス・ラズリで上張りされています。この聖堂には60種類以上のモザイク、300の彫像、そして数え切れないほどのロシアの画家による絵画が保存されています。

カザン聖堂  カザン聖堂はパーヴェル1世の命令によりローマのサン・ピエトロ聖堂を見本にして建てられました。聖堂のインテリアは大宮殿のホールを思わせます。ロシアの歴史上重要な出来事がこの聖堂と関係があります。地下納骨所には1812年のナポレオン戦争で総指揮を務めたクトゥーゾフ将軍が埋葬されています。そのそばにはロシア軍より寄贈された戦利品の軍旗や陥落させた都市の鍵などが保管されています。

ニコライ神現海運聖堂  ニコライ聖堂としても有名なこの聖堂は上階と下階とに分かれ、教会として機能しています。成聖式の際にロシア海軍の勝利を祝ったことから海運聖堂とも呼ばれるようになりました。下階に17世紀の奇跡の聖人ニコライのイコンが祀られています。1万人を収容できるよう造られています。成聖後一度も閉鎖されたことがない、ペテルブルグの中でも数少ない聖堂の一つに数えられています。